お掃除。
とてもめんどくさい作業である。
できれば誰かにしてもらいたい。
けど、一つの食べたものをテーブルから流しに移動させて、洗剤を利用して、泡立てて、スポンジでゴシゴシ。そのあと水で流して、ぴかぴかなお皿をフキンで拭いて、食器棚に戻す。。。
結果、テーブルは片付き、皿はきれいになり、ゴミが纏められて、空間の見た目が清々しい。。。
食器を一つ片付けるだけで、色々な過程が生まれる。
時には、いつもやっていることに、洗い方への工夫、洗剤の使用量。はたまた、洗剤の行方を考えると、種類を検討する。。。
掃除。。。めんどくさいかもしれない。
言われたからやる、何かの理由があるからしょうがなくやるでは、成長も発見も好奇心、想像力も生まれない。
掃除。。。出来ない人はただただ物事をごまかし、片付けているだろう。
要は、仕事に例えるならば、
段取りを取ることも出来ない。
意味のある深い仕事にならない。
掃除をないがしろにやる者は、よい仕事は出来ないだろう。。。
掃除は、精神力を清められる。日本人にとても必要な精神。
精神力が欠けてるならば、掃除をすることで何かが生まれるのではないかと思う。
。。。なんて、ある情報番組を見て
なんだか納得をして、感じた事を好きに
書いてみた。
なんでもそうだけど、とっちらかす人ほど何か学びが足りない。自分の立場を利用して。。。いや甘えて、上から発言。そして、そういう人は、気づいてない。。。
そういう人こそ、掃除作業は、いいかもしれない。
物事を動かすには、段取りや計画が大事になる。それは、イベントもそう。
やりたいを形にするには、ただ、やりたいや掃除でいう、とりあえず掃けばいいでしょ?では、何も作り上げれない。
なんでもそう。
人生、すべてクリエイティブな発送が必要性であるとしーまんは思う。
掃除。。。得意ではない。けど、嫌いでない。自分の仕事の仕方と比べると。。。
まだまだ、修行が足りないな〜。
以下、松下幸之助さんの
「リーダーになる人に知っておいてほしいこと」抜粋
どんな仕事でも、単純な仕事でも、真心をこめてやらないと具合が悪い。そこからいろいろなものが生まれてくるわけや。掃除の仕方でも、やっているうちに、こういう掃除の仕方があるということがわかってくる。植木のあいだを掃除していても、こういうふうにしたほうがもっと早くきれいになる、木のためにもなると気づく。そんなことまで考えるような人は、しまいには植木の職人になるかもわからん。そうすると、植木屋になっても非常にいい仕事ができる。君が植木屋になるわけやないけれども、どんなにつまらんと思う仕事でも、やる以上は精神をこめてやらなければいけない。
ところがはたして、全員が朝の掃除を30分間、誠心誠意やっているかどうかという問題やな。形式的にやっているだけだったら、それはもう、何も身につかんわけや。植木のあいだを掃除している。葉が落ちている。その落ち方を見て、この植木は傷んでいるからもっと水をかけてやらなければいけないというようなこともわかってくる。掃除をしていながら、植木を育てることもできるわけや。すべてにおいてそうなれば、商売をしていても、こういう商売の仕方は具合が悪い。将来の日本のためにならない。将来の日本のためになるには、商売の仕方を変えないといけない。そのためには、この法律は必要ない、この法律があったらかえってじゃまになるから、この法律を変えなければいけない。するとさらに、そのためには政治はこうあらねばならない、ということまで発想していくことになる。
だから、掃除をしている過程において、偉大な政治の要諦がつかめるわけや。こうしてやればいいという程度やったら単なる掃除で終わってしまう。そういうことやな。掃除に出てくる人もあるし、出てこない人もあるということを聞いたから、そんなことでは具合悪いなと思った。掃除をするということの意義を知らない。なぜ政経塾で掃除というものをさせるかというと、掃除から政治はいかにあるべきかということまで発想できるからや。それで掃除も大事やというふうに考えている。諸君は他の何についてもそういう見方をしないと、非常に浅くなってくる。深いものを汲み取ることができないわけや。だから、掃除をしていても、政治の真髄をつかめる人と、単なる掃除で終わってしまう人と、10年のあいだに格段の差ができるわけや。 ――1980年10月24日
(『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』PHP研究所、2009年)